人生に迷ったとき、
どうすれば、この選択で間違っていないと思えるだろう。
と、納得できる理由を探し続けることはありませんか。
仕事を続けるか、辞めるか。
今いる場所に残るか、離れるか。
人との関係を続けるか、距離を取るか。
どちらを選んでも、何かを失うような気がする。
自分で決めて、あとから後悔するのも怖い。
以前の私は、そんなとき、自分の選択が正しいと思える根拠を探していました。
本を読み、これまで学んできたことを振り返り、誰にでも説明できる理由を見つけようとしました。
けれど今振り返ると、私に答えがなかったわけではありませんでした。
私の中には、いくつもの本当の気持ちがありました。
離れたい。
でも、失うのは怖い。
もう我慢したくない。
でも、今あるものも大切にしたい。
どれか一つだけが本音だったわけではありません。
いくつもの大切な気持ちの間で、私は動けなくなっていたのです。
私の人生が動き始めたのは、絶対に間違いのない答えを見つけたときではありませんでした。
いくつもの気持ちを否定せずに見つめ、
そのすべてを大切にしたうえで、今の私は何を選びたいのだろう。
という問いが生まれたときでした。
目次
「これで間違っていない」と思える理由を探していました
以前の私は、何かを決めるたびに、
これで合っているのかな。
と考えていました。
自分がどう感じているかだけでは、なかなか決められない。
一般的には、どうするのが正しいのか。
周りの人にも、納得してもらえる選択なのか。
私がそうしたいという気持ちだけで選ぶ前に、私はいつも、その選択が間違っていないと思える理由を探していました。
誰かに話す前に、一人で答えを固めていた
私はいつも、誰かに相談して答えを決めてもらっていたわけではありません。
むしろ、誰かに話すのは一番最後でした。
その前に、一人で何度も考えました。
本を読んだり、学んだことを振り返ったり、自分の選択を説明できる言葉を探したりしました。
これなら間違っていない。
こういう理由があるのだから、こちらを選んでも大丈夫。
そう自分で納得できるところまで考えてから、ようやく決めていたのだと思います。
もちろん、
絶対に、こちらがいい。
と感じたときには、自分の意思で突き進むこともありました。
けれど、どちらを選んでも何かを失うような出来事に出会うと、簡単には決められませんでした。
私が探していたのは、正しい答えではなく、自分の選択を正しいと思える根拠だったのかもしれません。
「私がそうしたい」だけでは足りないと思っていた
本当はすでに、
私は、こちらを選びたい。
という感覚があることもありました。
けれど、その感覚だけを理由に選ぶことが、私には怖かったのです。
つらいと感じても、
これくらい我慢できない私が悪いのではないか。
離れたいと思っても、
もっと頑張ってからでなければ、逃げることになるのではないか。
そんなふうに、自分の感覚よりも先に、その気持ちが正しいかどうかを確かめようとしていました。
自分が嫌だから離れる。
自分が心地よいから、こちらを選ぶ。
それだけでは、わがままな選択のように感じていたのかもしれません。
そして、自分の感覚を理由に選んだあとに、何かを失うことも怖かったのだと思います。
もし選んだ道がうまくいかなかったら、
あのとき、もう少し我慢していればよかった。
私の選択が間違っていた。
と、自分を責めてしまうかもしれない。
だから私は、自分の選択を守ってくれる、誰にでも説明できる理由を必要としていました。
答えがわからなかったのは、気持ちが一つではなかったから

人生には、どれだけ考えても、間違いのない答えが見つからない出来事があります。
どちらかが明らかに正しく、どちらかが間違っているとは言えない。
どちらを選んでも、大切な何かを失うように感じる。
私にとって、仕事を辞めるという選択も、その一つでした。
希望に合う条件と、離れたい気持ちの間で揺れていた
仕事を辞めようかと考えたとき、すぐには決められませんでした。
勤務時間や通いやすさなどの条件は、私の希望に合っていました。
家族の生活に合わせながら働くことができ、毎月、一定の収入も得られる。
その条件を手放して、また自分に合う仕事が見つかるのだろうか。
辞めれば、一時的に収入がなくなるかもしれない。
そのことも怖く感じていました。
一方で、
私は、いつまでこの状況を我慢し続けなければならないのだろう。
という苦痛も、日に日に大きくなっていました。
勤務条件は希望に合っている。
収入がなくなるのは怖い。
それでも、今の場所で働き続けることもつらい。
離れたい気持ちも本当。
暮らしや収入を守りたい気持ちも本当。
どちらかが嘘だったわけではありません。
いくつもの気持ちが同時に存在し、その間で引き裂かれていたのだと思います。
離れることを選べば、暮らしや収入を守りたい自分を置き去りにするように感じる。
続けることを選べば、もうこれ以上傷つきたくない自分を見捨てるように感じる。
どちらを選んでも、大切な何かを失うようで、動けなかったのです。
決められない人に、本音がないわけではありません
人が決められないとき、その人には本音がないのではありません。
むしろ、大切にしたいものが一つではないからこそ、簡単には決められないことがあります。
外から見れば、ただ我慢しているように見えるかもしれません。
そんなにつらいなら、辞めればいい。
嫌なら、もっと早く伝えればいい。
そう思われることもあるでしょう。
けれど、その人の中では、誰にも見えないいくつもの願いや不安がせめぎ合っているのかもしれません。
動けないように見える時間にも、その人にとって大切なものを守ろうとしているのだと思います。

いくつもの気持ちを、一つの正解にしなくてもよかった
以前の私は、いくつもの気持ちの中から、正しい気持ちを一つ選ぼうとしていました。
離れたいと思うのが正しいのか。
我慢して続けるべきなのか。
どちらかを選ぶためには、もう一方の気持ちを間違いにしなければならないように感じていたのです。
けれど、本当に必要だったのは、正しい気持ちを一つ選ぶことではありませんでした。
離れたい私もいる。
収入を失うのが怖い私もいる。
条件のよい仕事を手放したくない私もいる。
そのすべてを、自分の中にあってよい気持ちとして認めることでした。
そのすべてを大切にしたうえで、 今の私は何を選びたいのだろう。
この問いが生まれたとき、私は初めて、どちらかの自分を置き去りにせずに、これからを考えられるようになったのだと思います。

安心は、迷いがなくなったから生まれたのではありません
仕事を辞めれば、一時的に収入がなくなるかもしれない。
希望に合う条件の仕事が、また見つかるかも分からない。
そんな不安は残っていました。
それでも少しずつ安心が生まれたのは、相反する気持ちのどちらかを、なくそうとしなくなったからでした。
もう離れたい。
という気持ちも、
収入がなくなるのは怖い。
という気持ちも、
どちらもそのときの私にとって大切な、本当の気持ちでした。
安心とは、不安がなくなることではありませんでした。
この選択なら絶対に大丈夫。
と思えることでもありませんでした。
我慢を続けるうちに苦痛が大きくなり、
もう、これ以上こんな気持ちで働き続けたくない。
これ以上、自分を惨めな気持ちにさせたくない。
という思いが、私の中ではっきりしていきました。
どの選択が正しいのかは、最後まで分かりませんでした。
けれど、少なくとも、今ここで感じている自分の苦しさだけは、もう無視しない。
そう決めたことが、私にとっての安心の始まりだったのだと思います。
安心とは、必ず正しく選べるという確信ではありません。
選んだあとに迷っても、思いどおりにならなくても、そのときの自分を責めずに、また問い直し、選び直していけるという信頼だったのです。
問いは、小さな違和感を自分に戻してくれる
以前の私は、
まだ大丈夫。
もう少し我慢できる。
と、自分の気持ちを後回しにしていました。
違和感があっても、すぐには言葉にしない。
嫌だと感じても、相手に伝えない。
けれど、言葉にしなかった悲しさや苦しさが、なくなったわけではありません。
少しずつ自分の中に積み重なり、限界を超えたとき、突然、感情があふれたり、その場所から逃げるように離れたりすることがありました。
相手にとっては、突然のことに見えたかもしれません。
けれど、私の中では突然始まったことではありませんでした。
言葉にできなかった時間も含めて、長い間、苦しさを抱えていたのです。
安心が少しずつ育つと、限界になる前に、自分の中にある小さな声にも耳を澄ませられるようになります。
本当は、少し嫌だった。
今の言葉は悲しかった。
ここは私には合わないかもしれない。
その感覚を、大げさだと打ち消さなくてもいい。
私は、そう感じたんだね。
と受け止めることができます。
私は、何をつらいと感じているのだろう。 本当は、どう扱ってほしかったのだろう。
問いは、限界まで我慢したあとに答えを出すためだけのものではありません。
苦しさがまだ小さいうちに、自分の声を自分のもとへ戻すためのものでもあるのです。
問いを持つと、相手の答えも尊重できる
問いを持つことは、自分の答えを探すためだけのものではありません。
人を見るまなざしも、少しずつ変えてくれます。
自分の中にも、簡単には一つにできない複数の気持ちがある。
そう気づくと、ほかの人にも、自分には見えていない気持ちや背景があると思えるようになります。
私にとって心地よいことが、相手にとっても心地よいとは限らない。
私には理解できない選択にも、その人が大切にしている理由があるかもしれない。
どうして、そんなことをするの。
と裁く前に、
この人には、何が見えているのだろう。
と、少し立ち止まれるようになります。
もちろん、相手を尊重することは、何をされても我慢することではありません。
理解できないまま距離を取ることも、自分を守るために離れることもあります。
それでも、
私とは違う。
と、
あなたは間違っている。
を分けられるようになる。
問いとともに生きることは、自分の中にある複数の気持ちを大切にしながら、相手の中にも、その人にとっての葛藤や答えがあることを忘れない生き方なのだと思います。
私が届けたいのは「答え」ではなく、「問い」が生まれる時間です
私は、誰かの代わりに人生の答えを出したいわけではありません。
どちらを選べば成功するのか。
どうすれば間違えないのか。
その正解を教えたいわけでもありません。
私が届けたいのは、安心できる対話の中で、それまで一つにできなかったいくつもの気持ちを、一緒に見つめられる時間です。
離れたい気持ちも。
失うことが怖い気持ちも。
変わりたい気持ちも。
今のままでいたい気持ちも。
どれかを間違いにするのではなく、
どの気持ちも、ここにあっていい。
と受け止めていく。
その中から、
そのすべてを大切にしたうえで、今の私は何を選びたいのだろう。
という問いが、その人自身の中に生まれてくる。
私は、その時間を一緒に大切にしたいのです。
人には、自分の答えを育てる力があります。
今は自分の気持ちがわからなくても。
いくつもの気持ちの間で、動けなくなっていても。
考える力も、感じる力も、選ぶ力も、なくなってしまったわけではありません。
すぐに結論を出さなくてもいい。
問いを心に置きながら、暮らしてみる。
朝、目が覚めたとき。
誰かと話したあと。
何かに心が動いたとき。
私は、どう感じたのだろう。
と、そっと自分に戻ってみる。
何も進んでいないように見える時間にも、その人の内側では、問いとともに答えが育っているのかもしれません。

自分に戻るとは、いくつもの気持ちを連れて選ぶこと
自分に戻るとは、迷わなくなることではありません。
自分の答えが、いつもはっきり分かるようになることでもありません。
迷ったときに、正しい理由だけを探すのではなく、自分の中にある、いくつもの気持ちにも問いかけられるようになることです。
私は今、何を感じている?
私は何を大切にしたい?
そのすべてを大切にしたうえで、今の私は何を選びたい?
そして、そこで見つけた答えを、最初から完璧に実現できなくてもいい。
今日は少し休む。
本当は嫌だったと認める。
小さなことを一つ断ってみる。
安心できる人に気持ちを話してみる。
そんな小さな選択から、自分の答えを生き始めることができます。
人生には、すぐに答えが出ない出来事があります。
けれど、答えが分からないのは、本音がないからではありません。
あなたの中にも、大切にしたい気持ちが、いくつもあるからかもしれません。
そのどれかを、急いで消さなくても大丈夫です。
もし、誰にでも説明できる理由がなくても、自分の中にある、いくつもの気持ちを大切にしてよいとしたら。
あなたは今、どんな問いを心に置いておきたいですか。
すぐに答えを出さなくても大丈夫です
many many smileyのLINEでは、毎週、自分に戻るための小さな問いをお届けしています。
正しい理由だけを探すのではなく、自分の中にある、いくつもの気持ちにも耳を澄ませながら、自分の答えを育てていきたい方へ。
登録後すぐに何かを決めたり、申し込んだりする必要はありません。今の自分に必要な問いだけ、ゆっくり受け取ってください。
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