分かってほしかったのに、
どこかで届かなかった感覚。
大切に思っているのに、
なぜかうまく交わらない距離。
もし今、
少しでも似たような感覚があるなら
この記事は、あなたに向けて書いています。
私はずっとそれを、
どう扱っていいか分からないまま
抱えてきました。
消えることはなかったけれど、
それが何なのかも、わからなかった。
ちゃんと伝えたいのに、
なぜか伝わらない。
近づこうとするほど、
少しづつ距離ができていくような感覚。
そのときは気づけなかったけれど、
あの中にあったのは
間違いではなくて
本当は大切にしたかった想い
だったのかもしれません。
目次
分かり合えなかった感覚とは何だったのか

今の私は、
父も母も、
私を大切に思っていくれていたと感じています。
それは、
抱きしめられた記憶でも、
言葉で分かってもらえた記憶でもなく、
何かを買ってもらったときに、
やっと実感できるものでした。
そのときの物を、
私は大人になるまで
ずっと手放せずにいました。
それは執着ではなく、
確かに愛情を感じられた記憶を、
なくしたくなかったから
だと思います。
もし、あなたの中にも
これだけは手放せなかったものがあるなら、
それは、ただの物ではなくて
大切な何かを感じていた証かもしれません。
同時に、
分かり合えなかった感覚も、
確かにそこにありました。
私は長い間、
家族をどこかで
敵のように感じていました。
憎んでいたからではなく、
一番必要な存在だったから。
子供にとって親は、
深く分かってほしい存在です。
だからこそ、
分かり合えないと感じたとき、
それはただの違いではなく、
届かなかったという感覚として
残りっていきます。
そしてその感覚は、
時間が経っても
簡単には消えないものかもしれません。
ここでひとつ、
あなたにお聞きしてもいいでしょうか。
あなたは、誰にわかってほしかったですか?
そして、どんな思いを受け取ってほしかったのでしょうか。
すぐに答えが出なくても大丈夫です。
言葉にならなくても大丈夫です。
ただ、
そう感じていた自分がいたと
気づくだけで
少しづつ、
心の奥がほどけていくことがあります。
期待がある場所でしか、
人は深く傷つきません。
それは、
それだけ大切に思っていた証でもあるから。
分かり合えなかった悲しさの正体
あのとき、
私が求めていたのは、
説明でも、正しさでもありませんでした。
まだ言葉になっていなかった感覚を、
ただ、
そのまま受け取ってもらえること。
「そう感じているんだね」
その一言で、
本当は十分だったのだと思います。
もしあなたにも、
うまく言葉にできなかった気持ちや
分かってもらえなかった感覚があるなら
この言葉は、
あなたに向けて書いています。
楽しかった時間も、
確かにありました。
でも、
それだけでは足りませんでした。
泣いても、
嫌だと言っても
それでも
私はここにいていい
そう思える感覚。
それが、
私には少し遠いものでした。
なぜ信頼できなかったのか

子どもは
言葉よりも空気を感じています。
具合が悪いとき。
学校に行けないとき。
心配より先に、
困った空気
を感じていました。
本音を出すと困らせる
自分は負担になる
だから私は、
心を閉じることで、
関係を守ろうとしていました。
それは、
間違いではありませんでした。
本当は、
とても悲しかった。
でもその悲しさを、
誰かと分かち合うことはできず、
一人で抱え続けていたのだと思います。
こうした我慢してしまう理由については、
こちらでも詳しく書いています。
▶︎我慢してしまう本当の理由
怒りの奥にあった、繰り返される悲しさ
後になって気付いたのは、
その分かり合えない悲しさが、
別の場所で反応していたことでした。
コミュニティや、
職場での人間関係。
相手の正しさが強い
話しても、深いところが交わらない
違和感が、存在しないものとして扱われる
そんな場面で、
強い怒りや嫌悪感を感じていました。
今なら分かります。
あれは、
相手を責めたかったわけではなく、
「またここでも分かり合えない」という
慣れ親しんだ悲しさだったのだと思います。
分かってもらえなかったことと愛は別だった

あるとき、
私はひとつの現実に立ちました。
もしかしたら母は、
私が一番つながりたかった深さを、
これからも理解しないかもしれない。
その可能性を、
初めてそのまま見ました。
不思議と、
絶望はありませんでした。
ただ、静かでした。
そのとき、
分かりました。
分かってもらえなかったことと、
愛されていなかったことは、
同じではなかったのだと。
大切に思われていたことも、
確かにあった。
でも同時に、
分かり合えなかった部分もあった。
「想ってくれていること」と
「子どもが愛を感じる形」
が同じではなかった。
どちらも、
本物でした。
数年前、
ジャーナリングをしていたときのことです。
ふと、
父が大好きだった
という気持ちが出てきました。
自分でも、驚きました。
理不尽だと感じていたこともあった。
分かり合えなかった感覚もあった。
それでも、
確かに好きだった気持ちもあった。
どちらかが正しくて、
どちらかが間違いなのではなく、
どちらも、
本当だったのだと思います。
それを同時に持てたとき、
不思議と心が静かになりました。
自分に戻るとはどういうことか
もしかしたら、
悲しい時間だけは、
自分に戻れていたのかもしれない。
調整しなくていい
先を読まなくていい
ちゃんとしなくていい
説明しなくていい
ただ、
感じている自分の内側にとどまっていられた。
だから悲しみは、
敵ではなく
足を引っ張るものでもなく
乗り越える対象でもなく
きっと、
自分の場所に戻れる唯一の扉だった。
子どもの頃の私が欲しかったのは
戻れる場所
だったのかもしれません。
外で
失敗しても
泣いても
怒っても
それでも
「大丈夫。ここに戻ってきていいよ」
と言ってくれる場所。
私は弱かったのではなく、
守りながら生きていた。
そのことを、
ようやく自分で分かってあげられたのだと思います。
本当の自立とは何か
ある日、
やっと自立できた気がする
と感じました。
それは、
一人で強くなったという意味ではありません。
自分が何に傷つき、
何に苦しんでいたのかを、
自分で分かってあげられた
という感覚でした。
心を開けなかった理由を理解できたことで、
分かってほしいという期待が、
静かにほどけていった。
我慢してきたことは間違いではなかった
以前の私は、
なぜ心を開けないのか分からない状態でした。
だから、
自分がおかしいのでは?
弱いのでは?
どうしたらいいの?
無意識に自分を責めていました。
でも、
こうなる理由があったんだ
という理解が起きた。
私は間違っていなかった
守ろうとしていたんだ
これでよかったんだ
初めて自分に対して安心が生まれた。
分かってもらえなくてもいい、
という諦めではなく、
全てを分かってもらえなくても大丈夫だと思えた。
すると、
不思議と関係は
以前よりも楽になっていきました。
両親を信頼できるようになった、
というより
自分の感覚を否定しなくなったのかもしれません。
私はこう感じている。
それでいい。
その場所に戻れたとき、
関係は少しづつ変わっていきました。
誰かが変わったわけではなく、
私が、自分を見失わなくなったから。
私にとっての自立は
強くなることではなく
戦うことでもなく、
自分に戻ること
でした。
「自分に戻る」とは、わがままになることではない
自分に戻るというと、
自分勝手になること
好き放題すること
と思われるかもしれません。
でも、
そうではなくて。
無理に笑わない。
本当は疲れていることを認める。
我慢しすぎていたことに気づく。
「嫌だった」と感じていい。
頑張れない日があってもいい。
人に合わせ続けなくてもいい。
そんなふうに、
本当の気持ちを
少しずつ置き去りにしないこと
なのかもしれません。
自分が苦しくなると気づいたとき、
もう無理に合わせなくていい
と自分の感覚に戻れる。
人に心を開くかどうかを
自分で選べる。
その場所に戻れたとき、
不思議と、
人との関係も
少しずつ変わっていきました。
自分に戻り始めると、現実は静かに変わり始める

分かり合えなかったことがあっても、
関係はそれだけで壊れるものではありませんでした。
不思議なのですが、
戻ることを許し始めると、
人生は大きく劇的に変わるというより、
静かに変わり始めます。
実際には、
静かで、
日常的な変化です。
例えば、
呼吸が少し深くなる。
朝、
少しホッとできる。
「今日は休もう」
と思える。
人に合わせすぎなくなる。
好きなものがわかってくる。
家族との時間を
味わえるようになる。
頑張っていないのに、
なぜか流れが良くなる。
そんなふうに、
安心が土台にある人生へ、
少しづつ変わっていくことがあります。
そして気づく頃には、
ちゃんと生きなきゃ
ではなく、
私は私の人生を生きていい
という感覚が、
少しづつ戻ってきます。
本音は、悪いものではない
私たちはときどき、
本音を出したら嫌われる
迷惑をかけてしまう
空気を悪くしてしまう
と思ってしまいます。
だから、
本当の気持ちを抑えて、
周りに合わせ続けてしまう。
でも、
ずっと自分を後回しにしていると、
心は少しずつ苦しくなっていきます。
怒り。
モヤモヤ。
疲れ。
動けなさ。
不安。
それはもしかすると、
もう無理して合わせ続けなくていいよ
という、
心からのサインなのかもしれません。
人生は、”自分を責め続ける場所”ではなくていい
以前は私も、
ちゃんとできない自分
疲れてしまう自分
うまくできない自分
を責めていました。
でも今は、
安心して生きる
ことは、
甘えや贅沢ではないと思っています。
力を抜けること。
ホッとできること。
好きな景色を見られること。
家族と笑えること。
自分の気持ちを大切にできること。
そういうものが、
人生の大切な豊かさなのだと思います。
「戻る」と、人生は静かに動き始める
もし今、
頑張っているのに苦しい。
どこか満たされない。
人に合わせすぎてしまう。
本音がわからなくなっている。
そんな感覚があるなら、
無理に変わろうとしなくて大丈夫です。
まずは少しずつ、
本当はどう感じている?
と、
自分に聞いてみる。
それだけでも、
人生は少しずつ動き始めます。
変わることより、
まず戻ること。
安心して、
本来の自分に戻っていく。
そんな時間を、
人生の中に作っていけたらいいのかもしれません。
LINEでは、”自分に戻るヒント”を届けています
頑張りすぎてしまうとき。
考えすぎて苦しくなるとき。
「このままでいいのかな」
と不安になるとき。
安心して戻ってこられる場所のように、
心を整えるヒントを
LINEで届けています。
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