子どもの頃、
どうしたの?
話してごらん
と聞かれても、何も答えられないことがありました。
頭の中が真っ白になり、言葉が一つも見つからない。
何も感じていなかったわけではありません。
むしろ、悲しさも、悔しさも、寂しさも、いろいろなものが胸の中にあったのだと思います。
けれど、まだ自分でも分からないものを、そのまま差し出すことができませんでした。
何かを話せば、
そんなことで?
と思われるかもしれない。
うまく説明できなければ、分かってもらえないかもしれない。
間違ったことを言えば、否定されるかもしれない。
そう思うほど、言葉は遠くなっていきました。
話してごらんと言われているのに、話せない。
そして、話せない自分を前に、私はますます一人になっていきました。
「話してごらん」と言われても、話せなかった
あの頃の私は、何を言えばよいのか分からなかったのだと思います。
悲しかった理由を、順序立てて説明することもできませんでした。
相手に何をしてほしかったのかも分かりませんでした。
ただ、胸の奥に何かが詰まっていて、声を出そうとすると、さらに苦しくなる。
そんな私を前に、大人も困っていたのかもしれません。
当時の私には、話せない自分は、分かってもらうことのできない自分のように感じられました。
今なら、あの子を少し違うまなざしで見ることができます。
言葉が出てこない子は、何も感じていないのではありません。
話したくないと決めているとも限りません。
自分の中にあるものを、ここへ出しても大丈夫だろうか。
うまく話せなくても、変な子だと思われないだろうか。
その場所が安全かどうかを、言葉になる前に確かめていることがあります。
あの頃の私も、答えを探していたのではなく、安心して分からないままでいられる場所を探していたのかもしれません。
子どもの頃、私は「言っても無駄」と感じ、黙ることで自分を守っていたこともありました。
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問いかけられたら、話せるわけではなかった

以前の私は、問いかけることは、相手を尊重することだと思っていました。
あなたはどう思いますか?
本当はどうしたいですか?
それは今も、大切なことだと思っています。
けれど、自分の経験を振り返る中で気づきました。
人は、問いかけられただけでは話せないことがあります。
問いが「正しい答えを求められる場所」になるとき
大人になってからも、
あなたはどうしたい?
と聞かれて、分からなくなることがありました。
その言葉だけを見れば、私の意思を尊重してくれています。
それでも私は、いつの間にか、
私は、どうしたいのだろう
ではなく、
ここでは、どう答えることを期待されているのだろう
と考えていました。
問いにすぐ答えなければならないと感じているとき。
相手の中に、すでに期待する答えがあるように思えるとき。
分からないと言ったら、考えていない人だと思われそうなとき。
問いは、自分の内側に戻るための入り口ではなく、正しい答えを求められる場所になることがあります。
答えられない人は、考える力が足りないのではありません。
自分の言葉を出したあとも、ここにいてよいのかを確かめているのかもしれません。
人は本当は、正しい答えを持ちたいだけではなく、答えられないときにも誰かとつながっていたい存在なのだと思います。
相手に合わせるうちに、自分の気持ちが分からなくなっていくことがあります。
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私に必要だったのは、待ってもらう時間だった
私に必要だったのは、問いではありませんでした。
まだ答えになっていない私と、一緒にいてもらう時間でした。
分かりませんと言ったときに、
そうなんですね。今は、まだ分からないんですね
と、その場所にいてもらう。
やりたい気もする。でも、やりたくない気持ちもある
と話したときに、
本当はどちらなの?
と決めるのではなく、
両方あるんですね
と受け取ってもらう。
しばらく黙っても、次の質問へ急がれない。
一度話したことを、やっぱり少し違うと言い直しても、困った顔をされない。
その日に答えが見つからなくても、対話は失敗にならない。
何も進んでいないように見える時間の中で、人はようやく、自分の内側へ戻っていけることがあります。
自分の気持ちがわからないとき、「分からない」の中で起きていること
自分の気持ちがわからないとき、私たちは焦ります。
自分のことなのに、どうして分からないのだろう。
いつまで考えても答えが出ない私は、優柔不断なのだろうか。
けれど今の私は、分からないを、答えが何もない状態だとは思っていません。
「分からない」は、何もない場所ではない
分からないは、答えになる前のものが動いている時間なのだと思います。
そこには、まだ名前のついていない感情があります。
一つに決められない願いがあります。
自分でも気づいていなかった大切なものがあります。
やりたい。でも、やりたくない
嫌だった。でも、感謝していることもある
変わりたい。でも、もう頑張りたくない
人の気持ちは、初めから分かりやすい一つの答えになっているわけではありません。
矛盾しているように見える二つの気持ちも、どちらかが偽物とは限りません。
すぐに言葉にならない人の中にも、その人なりの人生が静かに動いています。
私は、その複雑さを未熟さではなく、その人が多くのものを感じながら生きてきた証として見ていたいと思っています。

決められない人は、大切なものをいくつも抱えているのかもしれない
決められずにいる人を見ると、私たちはつい、背中を押したくなります。
もう答えは出ているのでは?
本当は、こうしたいのでは?
そう言ってもらうことで、前へ進めることもあります。
けれど、決められない人は、前へ進む意思がないのではないかもしれません。
進みたい自分も、進めない自分も、どちらも置いていかない道を探していることがあります。
一つを選べないのは、簡単には捨てられない大切なものを、いくつも抱えているからかもしれないのです。
そう思うと、立ち止まっている人を見るまなざしも、少し変わります。
その人の代わりに答えを決めるのではなく、今、その人の中に何があるのだろうと、一緒に見つめられるようになります。
答えを急ぐと、途中にいた自分が置き去りになる
では、どうしたいですか?
次に何をしますか?
未来へ向かう問いは、とても大切です。
けれど、まだ自分の気持ちが言葉になっていないときに未来を決めようとすると、
本当はどうしたいかより、
何を選べば正しいか
を考えてしまうことがあります。
誰かが先に意味を決めてくれれば、その説明に納得したような気持ちになることもあります。
自分より、相手のほうが私を分かっているように見えるからです。
でも、その答えが自分の内側から生まれたものでなければ、少し時間がたつと、また分からなくなることがあります。
答えを出すことはできても、答えになる途中にいた自分が、そこにいないからです。
「嫌だった」が「寂しかった」に変わるまで
人の言葉は、話した瞬間に完成しているとは限りません。
初めは、
嫌だった
としか言えないことがあります。
その言葉を訂正せず、理由を急いで聞かず、そこに置いてみる。
しばらくして、
本当は、寂しかったのかもしれない
という言葉が生まれる。
さらに話していくと、
私を尊重してほしかったわけではなかった
ただ、一緒に考えてほしかった
という願いが見えてくる。
嫌だったという最初の言葉が、間違っていたわけではありません。
それは、まだ名前のなかった大切なものへ近づくための、最初の入り口です。
最初に出てきた言葉だけで人を決めず、その先にあるものを一緒に待つ。
そこには、人には自分の言葉を見つけていく力があるという信頼があるのだと思います。
不完全な言葉を置いておける場所
人は、問いを与えられて自分を発見するだけではありません。
自分の不完全な言葉を置いておける場所があることで、少しずつ自分の言葉に出会っていきます。
話す。
黙る。
分からないと言う。
一度話したことを、やっぱり少し違うと言い直す。
今日は、まだ分からないことが分かった
そう言って、そのままお茶を飲み終える日があってもいい。

すぐに答えが出なくても、自分との関係が切れない。
その積み重ねが、自分の気持ちを大切にするということなのかもしれません。
過去の自分を理解し、これからの生き方を選び直す
私は長い間、
なぜ、あのとき話せなかったのだろう
なぜ、私はあれほど傷ついたのだろう
と考えてきました。
過去を振り返ることには意味がありました。
当時は一人で抱えるしかなかった気持ちに、今の私が居場所を与えられるようになったからです。
でも、本当に人生が動き始めたのは、問いが少し変わったときでした。
では私は、これから何を大切にして生きたいのだろう?
過去にとどまるのではなく、自分を迎えに行く
過去を何度も思い出す人は、前を向けない人に見えることがあります。
けれど、その人は過去にとどまりたいのではなく、あの場所に置き去りにした自分を迎えに行こうとしているのかもしれません。
私は、すぐに答えを出せることより、分からないと言えることを大切にしたい。
どちらか一つに決めることより、矛盾した思いをそのまま置ける時間を大切にしたい。
誰かの内面を見抜くことより、その人自身が自分の言葉に出会うことを大切にしたい。
過去を理解することは、原因をすべて明らかにするためではありませんでした。
過去の自分が守りたかったものを知り、これからの生き方を自分で選び直すためだったのだと思います。
出来事から未来の選択までをつなぐ
私は、何かが起きたとき、すぐにでは、どうする?とは聞きません。
その前に、そこで何を感じ、何を守ろうとし、本当は何を大切にしたかったのかを、一緒に見つめます。
何を感じたか分からないところで、立ち止まってもいい。
大切にしたいことがたくさんあってもいい。
未来がまだ描けなくてもいい。
今は何も決めたくないと思ってもいい。
必要なら、何度でも前の話へ戻っていい。
その先に、
これからは、こう生きてみたい
という言葉が、その人自身の中から生まれることがあるからです。
問いは、正しい答えへ上っていく階段ではありません。
自分の中で起きていることを見失わず、これから選びたい未来へつないでいくための地図なのだと思っています。
小さな気持ちを置き去りにしなくなると、日々の選択も少しずつ変わっていきました。
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私は、問いを与えるより、その人の中で育てたい
初めは、私から問いかけることもあります。
何が起きましたか?
そのとき、どんな感じがしましたか?
でも、話しているうちに、その人自身の中から、
どうして私は、こんなに悲しかったのだろう
という問いが生まれることがあります。
やがて、それが、
私は、本当は何を大切にしたかったのだろう
へ変わる。
そしていつか、
では私は、これからどう生きたい?
という問いへ育っていきます。
人には、自分の答えを育てていく力がある
私が問いを渡し続けなければ、自分を考えられない人になってほしいわけではありません。
人生で何かが起きたとき、その人自身が、
今の私は、自分に何を聞いてあげたいだろう?
と、自分のもとへ戻れるようになる。
そこまでが、私の届けたい自分に戻る対話です。
人には、自分の答えを育てていく力があります。
すぐには言葉にならなくても、その力が失われているわけではありません。
私は答えを与える人ではなく、その人の中にある力を、置いていかずに信じる人でありたいと思っています。
自分に戻ることで、人と出会い直せる
自分に戻ることは、
私は私。あなたはあなた
と、人から離れることではありません。
むしろ、自分の感覚を取り戻すことで、初めて人と対等に出会い直せるのだと思います。
自分の基準が分からなかった頃、私は、
どうすれば認めてもらえる?
私はどう見られている?
と考えていました。
でも、
私はこう感じる
私はこれを大切にしたい
が少しずつ分かるようになると、相手にも、その人にしか分からない世界があることが見えてきます。
私には、私の感覚がある。
あなたには、あなたの感覚がある。
だから、
どちらが正しい?
ではなく、
あなたには、どう見えていますか?
と聞ける。
すぐに分かり合えなくても、違いを持ったまま、もう一度相手を知ろうとすることができます。
人は、安心して誰かとつながっていたい存在なのかもしれません。
安心すると、まなざしが変わります。
自分を、早く答えを出さなければならない人ではなく、まだ分からないままでも大切にしてよい人として見られるようになる。
相手を、正しい答えへ導く対象ではなく、自分とは違う世界を生きている一人の人として見られるようになる。
そのまなざしが変わると、自分との関係も、人との関係も、人生との関係も、少しずつ変わっていくのだと思います。

「分からない」と言った人を、置いていかない
私がつくりたいのは、早く答えにたどり着ける場所ではありません。
言葉が見つからないとき。
気持ちが矛盾しているとき。
まだ未来を選べないとき。
そんな答えになる前の自分も、そこにいてよいと思える場所です。
分からないと言ったとき、
では次へ行きましょう
と通り過ぎるのではなく、
今は、まだ分からないんですね
と一緒にいられる。
人は、誰かに答えを教えてもらわなければ生きられない存在ではありません。
安心して立ち止まれる場所があれば、言葉にならなかった感情に少しずつ気づき、自分が大切にしたかったものを見つけ、また未来を選び始めることができます。
すぐに答えられない人の中にも、その力は静かに生きています。
だから私は、分からないと言った人を置いていきたくありません。
答えになる前のその人と一緒に、その人自身の言葉が生まれてくるのを待ちたい。
人は、安心すると、自分へ戻っていける。
そして自分へ戻るほど、もう一度、人と出会えるようになる。
私は、人をそんな存在として見ています。
私が長い間探していた「安心」について、こちらの記事にも綴っています。
関連記事:[安心は、苦しみがなくなることではありませんでした]
まだ答えになっていない気持ちを、大切にしてみませんか
自分の気持ちが分からない
どちらを選びたいのか、まだ決められない
そんなときも、無理に答えを出す必要はありません。
体験セッションでは、すぐに結論を出すことよりも、まだ言葉になっていない思いや、矛盾しているように感じる気持ちを、一つずつ一緒に確かめていきます。
話すこと。
黙ること。
分からないと言うこと。
一度話したことを、少し違うかもしれないと言い直すこと。
そのすべてを置いておける時間の中で、自分の気持ちを大切にする体験をしてみませんか。
90分の体験セッションです。まだ相談したいことがはっきりしていなくても大丈夫です。
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