また私が悪かったのかな。
以前の私は、何かあるたびにそう思っていました。
誰かの機嫌が悪い。
職場で注意される。
家族が無口になる。
子どもが泣く。
そんな出来事があるたびに、私は理由を探すより先に、
私が悪かったのかな。
という結論を出していたのです。
きっと、同じように感じたことがある方もいるのではないでしょうか。
それが私にとっては、ごく自然な反応でした。
自分を責めているという自覚さえありませんでした。
でも今振り返ると、私は自分を責めたかったわけではありませんでした。
本当に守りたかったものがあったのです。
目次
出来事より先に、自分を責めていました
「私が悪い」が最初の答えになっていた
以前の私は、出来事が起きるたびに、自分の気持ちより先に原因探しをしていました。
私の言い方が悪かったのかな。
もっと優しくすればよかったのかな。
私が我慢すれば丸く収まるかな。
悲しい。
寂しい。
傷ついた。
そんな気持ちを感じる前に、私が悪いという答えを出していたのです。
それがあまりにも自然だったので、自分を責めていることにさえ気づいていませんでした。
本当は悲しかっただけでした

感じる前に閉じ込めていた本当の気持ち
でも、本当は違いました。
私は怒っていたわけでも、誰かを責めたかったわけでもありませんでした。
本当は、
悲しかった。
寂しかった。
怖かった。
認めてもらえなくて苦しかった。
その気持ちを感じることが怖くて、私は感情より先に私が悪いという答えを選んでいたのです。
自分を責めている間は、本当の気持ちを見なくても済みます。
だから無意識のうちに、その方法を選び続けていました。
自分を責めることで、安心を守ろうとしていました

嫌われたくない気持ちが、自分責めにつながっていた
自分を責めているつもりはありませんでした。
私にとっては、私が悪かったのかなと考えることが、ごく自然な反応だったからです。
誰かの機嫌が悪い。
職場で注意される。
そんな出来事があるたびに、私が悪かったのかなと、自分に原因を探していました。
それが当たり前すぎて、本当は悲しかったことや、寂しかったこと、傷ついていたことに気づくこともありませんでした。
でも振り返ると、そのたびに私は、自分の気持ちより先に私が悪いという答えを出していたのです。
でも、その奥にはもっと大きな願いがありました。
嫌われたくない。
見捨てられたくない。
関係を壊したくない。
もし相手が悪いことにしたら、相手は離れてしまうかもしれない。
そう考えると怖くて、全部自分が悪いことにしていたのです。
自分を責めることは、
自分を苦しめるためではありませんでした。
私は、
大切な人とのつながりを失いたくなかった。
嫌われたくなかった。
一人になりたくなかった。
だから、
自分が悪いことにしていたのです。
それは、
私なりに人とのつながりを守ろうとしていた、
精いっぱいの方法でした。
私が欲しかったのは正しさではありませんでした
認められたかった、愛されたかった、安心したかった
私は間違えない人になりたかったわけではありませんでした。
本当に欲しかったのは、
安心して人とつながれることでした。
認められたかった。
愛されたかった。
ここにいていいと感じたかった。
だから私は、間違えないように頑張っていたのです。
嫌われないように空気を読みました。
期待に応えようと無理をしました。
間違わないようにしていたのは、正しさが欲しかったからではありません。
本当は、安心して人とつながりたかった。
そして今振り返ると、その前に必要だったのは、自分とのつながりを取り戻すことだったのです。
少しずつ、自分の気持ちを聞けるようになりました

「私はどう感じた?」と問いかける習慣
以前の私は、私が悪かったのかなと答えを出すことばかりで、自分の気持ちを聞くことができませんでした。
転機になったのは、子どもが小さい頃に書いていたノートです。
あの頃の私は、
一人になりたいと思う自分を責めていました。
母親なのに、そんなことを思ってはいけない。
そう感じていたのです。
それでもノートには、何度も一人になりたいと書き続けました。
すると少しずつ、その言葉の奥にある本当の気持ちが見えてきたのです。
最初に出てきたのは、
疲れている。
少しだけ、一人で静かに過ごしたい。
という気持ちでした。
でも、書き続けるうちに、さらに奥にいたもう一人の自分に出会いました。
それは、幼い頃から我慢するのが当たり前だと思っていた私です。
私は小さい頃、自分の気持ちを後回しにして我慢することが当たり前でした。
だから、息子が素直に「嫌だ」「やりたくない」と表現するたびに、理由のわからないイライラが湧いていたのです。
振り返ると、私は息子に怒っていたのではありませんでした。
私はずっと我慢してきたのに。
そんな幼い頃の私の悲しさや寂しさが、息子の姿を通してあふれてきていたのです。
そのことに気づいたとき、初めて私が悪いと責めるのではなく、自分の気持ちを理解しようと思えるようになりました。
今でも落ち込む日はあります。
私が悪かったのかなと思うこともあります。
でも以前と違うのは、そこで終わらなくなったことです。
以前の私は、何かあるたびに私が悪かったのかなと答えを出していました。
でも今は、すぐに結論を出さないようになりました。
まずは、
私は今、どう感じたんだろう。
と、自分に問いかけます。
悲しかった。
寂しかった。
本当は嫌だった。
そんな小さな気持ちに気づけるようになったのは、自分を変えようと頑張ったからではありません。
少しずつ、どんな気持ちもあっていいと思える安心が育ってきたからです。
感情を感じても、自分とのつながりは失われない。
そう思えるようになると、私が悪いという答えを急がなくなりました。
すると、自分の本当の気持ちに耳を傾けられる時間が、少しずつ増えていったのです。
自分を責めなくなったら人生が少しずつ動き始めました

安心は人生を変えるスタート地点
自分を責めることを無理にやめようとしたわけではありません。
安心して、自分の気持ちを大切にできるようになった結果、少しずつ変わっていったのです。
休みたい日は休めるようになりました。
嫌だったと言える日が増えました。
人との距離も、自分で選べるようになりました。
以前より自然に笑える時間が増えました。
人生が大きく変わったわけではありません。
でも、自分との関係が変わると、毎日の感じ方が少しずつ変わっていきました。
安心とは、
不安がなくなることではありませんでした。
悲しみがなくなることでも、
間違えなくなることでもありません。
本当の安心とは、
どんな気持ちになっても、自分とのつながりを失わないこと。
私は少しずつ、
そんな安心を育てられるようになりました。
だから人生は、
大きく変わったわけではありません。
でも、
私が悪いという一つしかなかった世界から、
私は今、どう感じているんだろう。
と問いかけられる世界へ変わっていきました。
私は、
人生を変えたかったのではありません。
安心して、自分に戻りたかったのです。
その安心が育ち始めたとき、人生は静かに動き始めました。
もし今、あなたがまた私が悪かったのかなと自分を責めてしまう毎日を過ごしているなら、その苦しさには理由があります。
あなたが弱いからではありません。
きっと、大切な何かを守ろうとしてきたのです。
そのことに気づけたとき、自分を見る景色は少しずつ変わり始めます。
その小さな安心が、
あなたがあなたらしく生きる人生の始まりになると、私は信じています。
なぜ私は「安心」をテーマにしているのか
私は長い間、
安心は問題がなくなることだと思っていました。
でも違いました。
安心とは、
どんな感情になっても、
自分とのつながりを失わないことでした。
悲しんでもいい。
怒ってもいい。
不安になってもいい。
そんな自分を見放さなくなったとき、人生は少しずつ動き始めました。
だから私は、
安心を届けたいのではありません。
安心から始まる人生を届けたいのです。
今日、あなたはどんな気持ちを後回しにしていましたか。
もしすぐに答えが見つからなくても大丈夫です。
自分に問いかける時間そのものが、安心を育てる第一歩になるかもしれません。
一人で抱えなくても大丈夫です
もしあなたも、
また私が悪かったのかなと自分を責めてしまう毎日を過ごしているなら、
その苦しさには、ちゃんと理由があります。
責めることをやめようと頑張るのではなく、
安心して自分の気持ちに耳を傾ける時間を持ってみませんか。
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